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高松地方裁判所丸亀支部 平成4年(ワ)20号 判決 1996年3月28日

原告

三木アヤノ

ほか二名

被告

渡瀬真治

ほか二名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

一  被告らは各自、原告三木アヤノ(以下「原告アヤノ」という。)に対し、金三一三八万九一四五円及び内金二八五三万五五八七円に対する平成二年七月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは各自、原告三木裕文及び同三木啓子(以下「原告裕文ら」という。)それぞれに対し、金一三九三万四五七二円及び内金一二六六万七七九三円に対する平成二年七月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  仮執行の宣言

第二事案の概要

本件は、後記一1掲記の交通事故(以下「本件事故」という。)により死亡した訴外三木智(以下「智」という。)の相続人である原告らが、被告ら各自に対し、後記各法条に基づき、右第一の一及び二掲記のとおりの損害賠償金(弁護士費用を除いた損害額に対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金の起算日は、智の死亡の日の翌日である。)の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実及び証拠等(後掲)により認められる主要な争点になつていない前提事実

1  本件事故の発生

(一) 日時 平成二年七月一四日午後零時四五分ころ

(二) 場所 岡山県勝田郡奈義町馬桑七三八番地先国道五三号線上(以下「本件現場」という。)

(三) 態様 国道五三号線(以下「国道」という。)を同町関本方面から鳥取県方面へ北進中の被告渡瀬真治(当時一六歳の高等学校二年生。以下「被告渡瀬」という。)運転・被告西矢明子(以下「被告西矢」という。)同乗の普通乗用自動車(岡山五八ろ六三四六。以下「被告車」という。)の左前部と南進中の智(大正五年九月二八日生《当時七三歳》)運転の普通乗用自動車(香五六な八七九五。以下「三木車」という。)の左前部とが衝突した。

2  責任原因

被告渡瀬は、本件事故当時、被告車を被告西矢から無償で借り受けて自己のために運行の用に供していた。

3  智の死亡及び相続等

(一) 智は、本件事故により両側血気胸、全身打撲の傷害を負い、直ちに、岡山県勝田郡勝央町黒土四五番地所在のさとう記念病院に収容されて入院治療を受けたが、両側血気胸に基づく呼吸不全より、平成二年七月一七日午前一〇時一八分死亡した。

(二) 原告アヤノは智の妻、原告裕文らはいずれも智の養子であり、他に智の相続人はいない。

(甲第二及び第三号証並びに弁論の全趣旨)

4  損害の填補

原告らは、本件事故による損害の填補として、自動車損害賠償責任保険から合計二〇五七万四二九〇円の支払を受けた。

二  主要な争点

本件の主要な争点は、本件事故の態様及び被告らの過失相殺の抗弁の成否(智の過失が肯定されるときは被告渡瀬と智の過失割合)、被告西矢及び被告田島洋子(旧姓・西矢。以下「被告田島」という。)の責任原因並びに個々の損害の算定―殊に、休業損害及び逸失利益の算定の基礎となる収入額―にあり、これらの点に関する当事者の主張の概要(個々の損害の算定についての主張は、第三の三及び四で必要に応じて摘示する。)は、次のとおりである。

1  本件事故の態様及び過失相殺

(被告ら)

本件事故発生の状況は、三木車が被告車の前方三五・五メートル付近に至つて急に中央線を越えて北行車線内に進入してきたため、被告渡瀬が右にハンドルを切つて衝突を避けようとしたものの及ばなかつたというものであるから、本件事故発生の原因の大半は、智が前方不注視により三木車を中央線を越えて北行車線内に進入させた過失に起因するものであり、更に、智がシートベルトを装着していなかつたことがその死亡の原因となつたものである。従つて、智の過失は七〇パーセント以上存在するというべきである。

(原告ら)

本件事故は、被告渡瀬において、カーブ及び駐車中の大型自動車四台のため南行車線の状況を見通すことができない状況であり、かつ、本件現場は南行車線を走行する車両が下り勾配のために加速し、中央線寄りに進行してくる場所であることを予測できたのであるから、警笛を吹鳴して南行車線を進行してくる対向車に注意を喚起するとともに、前方を注視して減速徐行していれば、三木車との衝突を回避でき、仮に三木車の発見が遅れても、登坂車線の存在により左側にハンドルを切りさえすれば右衝突を回避できたにもかかわらず、被告西矢との話に気をとられ三木車の動静注視を怠り、しかも、三木車を発見するや慌ててハンドルを右に切った過失により発生したものである。従つて、被告渡瀬の過失は九〇パーセント以上存在するというべきである。

2  責任原因

(原告ら)

(一) 被告西矢は、自動車の運転免許を有する者であるが、被告渡瀬が、一六歳の高等学校二年生で、右運転免許を有していないことを知りながら、岡山県津山市内において、同被告から被告車の運転をさせてくれるよう頼まれた際、安易にこれを承諾し、本件現場まで約二六・五キロメートルにわたり同被告に無免許運転をさせた上、自ら助手席に同乗していながら、同被告に安全運転の注意をしないばかりか、同被告と雑談していたため、運転未熟の同被告に対する注意を怠つた結果、右1の原告ら主張のような同被告の過失ある運転に加功ないしこれを幇助したものであるから、民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負う。

(二) 被告田島は、本件事故当時、被告車を所有して自己のために運行の用に供していた。

(被告田島)

被告車は、被告西矢が購入したものであるが、購入手続を父である訴外西矢孝之(以下「孝之」という。)に委ねていたことから、被告車を販売した訴外加茂自動車販売株式会社(以下「訴外会社」という。)が使用者の登録名義人を誤つて被告田島にしてしまつていた。従つて、被告車の保有者は、被告西矢である。被告田島は、被告車には何ら関係していない。

三  証拠

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様及び過失相殺

1  第二の一1及び2の各事実に、甲第一一号証、第一三号証の一ないし一〇、第一四号証の一及び二、第一五号証の一ないし、一九、第三四号証の一及び二並びに第三五及び第三六号証、乙第一ないし第五号証及び第六号証の一ないし四二、検証の結果、鑑定の結果、証人花房文雄、同石橋眞幸及び同大滋彌雅弘の各証言(ただし、甲第一四号証の二、乙第三及び第五号証、検証の結果、証人花房文雄及び同石橋眞幸の各供述については、後記採用できない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、更に次の事実が認められ、右括弧内掲記の各証拠並びに甲第一二号証の一ないし四及び第二二ないし第二四号証、証人三木保(第一、二回)、同久永徹及び同三木渡の各供述中この認定に反する部分はいずれも採用できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 被告渡瀬は、自動車の運転に興味を持ち、中学校三年ころから、自宅で自ら運転して車庫での出し入れを行うこともあったが、平成二年五月初め及び六月初めころの二回、被告西矢に依頼して、同被告に助手席に座つて貰つた上、同被告の勤務先前の一般車両の通行の極めて少ない長さ約五〇〇メートルの広い直線道路を往復する形式で、被告車を運転して自動車運転の練習をした。本件事故の当日、被告渡瀬及び被告西矢は、被告車で一緒に岡山県と鳥取県の県境にある黒尾トンネルを越した付近までドライブに出掛けることにしたところ、当初は被告西矢が被告車の運転をしていたが、途中で、被告渡瀬に頼まれたため、被告西矢は、気をつけるよう注意しただけで被告渡瀬に運転を交代した。被告渡瀬は、同日午後零時一〇分ころから被告車の運転を始め、岡山県津山市内から国道に出て、鳥取県方面に向かつた。被告渡瀬にとつては、これが右六月初めころの運転に次ぐ三回目の一般道路での運転であり、被告西矢は、車両の通行の多い同市内における被告渡瀬の運転に不安を感じたものの、そのまま同被告に運転を任せていた。

(二) 本件現場は、山間部をほぼ南北に延びる国道(歩道・車道が区別された平坦なコンクリート舗装道路)上であり、南方から北方に向つて一〇〇分の三の上り勾配になつているところ、

(1) 車道は、両側に白色ペンキで外側線が引かれ、更に、黄色ペンキで幅二〇センチメートルの中央線が引かれている。南行車線の幅員は三・四メートル。北行車線は、その幅員が南から三・四メートルで続いているものが、本件現場の直前付近から次第に広くなり(本件現場においては四メートル)、やがて登坂車線が分岐して幅員各三・四メートルの二車線構成になる。

(2) 北行車線の西側に幅員〇・六五メートルの路側帯を挟んで、幅員一・一メートル、車道から縁石までの高さ約二〇センチメートルの歩道が存在している。また、南行車線の東側にはアスフアルト舗装された扇形の駐車場よりの土地(最も広くなつている部分の幅員は、約九メートル余り。以下「本件駐車余地」という。)が存在し、更にその東側に飲食店「黒尾峠」が存在している。

(3) 国道は、通行する車両がまばらであり、本件事故当時も、本件現場に差し掛かつた被告車と三木車との間に、通行する車両はなかつた。また、国道の最高速度制限は、時速五〇キロメートルであつた。

(4) 国道は、東から北にカーブして本件現場の南側に至り、本件現場付近から北に向かつてしばらく直線となつた後、更に西にカーブしている。

(5) 本件事故当時、本件駐車余地には、概ね別紙図面一に「本件事故当時駐車していた、と原告らが主張する車両の位置及び車種」として表示したとおり、北寄りに四トントラツク(クレーン付き)一台が北向きに、中程に大型トレーラー二台(それぞれ、全長約一七・三メートル、最大車幅約二・四九メートル、最大車高約二・八メートル《ただし、東側に駐車したトレーラーについては、改造により約三・七メートル》、車両重量約一三・二四トン)が北向きに並んで、南寄りに大型トラツク一台が南向きに駐車しており、これらが、本件現場へ接近する被告車からは右方の、三木車からは左方の各見通しを妨げていた(そのため、被告車が別紙図面の一のイの地点にいるとした場合、同所から同図面のAの地点にいる車両を見通すことはできない状態であつた。)。なお、本件事故当時、天候は曇りで、路面は乾燥していた。以上のほか、本件現場及びその付近の状況の詳細は、同図面記載のとおりであつた。

(三) 被告渡瀬は、被告車(車長三・九九メートル、車幅一・六八メートル、車両重量〇・九一トン)を運転して、国道の北行車線を時速約五〇キロメートルで北進し、他方、智は、三木車(車長三・五五メートル、車幅一・五五メートル、車両重量〇・七二トン)を運転して、国道を時速約六〇キロメートル南進していた。

(四) 被告渡瀬は、前方約三〇ないし四〇メートル付近に車体の少なくとも右半分が中央線を越える形で三木車が南進してくるのを発見し、とつさにアクセルペダルから足を離し、ハンドルを右に切つて衝突を回避しようとし、他方、智は、ハンドルを左に切つて南行車線に戻るようにして衝突を回避しようとしたものの間に合わず、被告車の左前部と三木車の左前部が概ね別紙図面一及び二記載のとおりの位置、車両の向きで衝突した。

被告西矢は、本件事故直前ころは、ぼうつとした感じで助手席に座つていたもので、三木車の動静や被告渡瀬の運転の状況に特に注意を払つていなかつた。

(五) 右衝突後、被告車は、後部を東方に振りながら、東方に滑走して本件駐車余地内にほぼ北西向きに停止し、他方、三木車は、後部を西方から南方に振りながらほぼ一八〇度転回するように滑走して北行車線内の中央線沿いに北向きに停止した(別紙図面一及び二記載のとおり)。この際、右各図面に記載のとおり、中央線上に、被告車及び三木車の各前輪のタイヤの横ずれ痕が印象された。

(六) 智は、本件事故当時、シートベルトを装着していなかつたため、ハンドルで胸を強打し、これかせ智の死因となつた両側血気胸の傷害の程度を、少なくともより重篤なものとさせた。

2  右1の認定に対し、

(一) 原告らは、第二の二1の原告らの主張のとおり、被告渡瀬が三木車を発見するや慌ててハンドルを右に切つたため被告車が中央線を越えたことにより本件事故が発生したもののように主張し、右1の冒頭掲記の甲第一二号証の一ないし四及び第二二ないし第二四号証、証人三木保(第一、二回)、同久永徹及び同三木渡の各供述は、これに副うものである。

しかしながら、これらの証拠にあらわれている右主張の根拠は、次のとおりいずれも採用できない。

(1) まず、本件事故の日の翌日の昼前ころ、三木保及び久永徹が智を見舞い、三木保が「事故は無免許運転の被告渡瀬が普通のカーブという意識で車のハンドルを右に切ると、被告車が反対車線に飛び出した。しかし、被告車渡瀬はどうすることもできなかつた。」旨尋ねると、智は、左手の親指と人差し指を丸めたり、頷いたりして、これを肯定したとの点については、同日午前二時過ぎころ、原告裕文がさとう記念病院に到着して以降、智は意識がなく、意識が戻らないまま死亡した旨の原告裕文本人の供述に照らすと、右事実の存在自体にわかに認め難い(なお、仮にこのような事実があつたとしても、智が真実そのような記憶を有していたためこれを肯定したのか、智が事故状況について記憶を有していなかつたが三木保の説明が真実だと思つて納得したのか、そのように主張したい旨の希望を表明したのか、判然としない。しかも、智が三木保に意思表示したところを右の一番目のように解したとしても、その内容は、鑑定の結果等に照らし、採用できない。)。

(2) 次に、本件事故の日の翌日、三木保が担当の警察官である藤村和男から「本件事故は南行車線内で発生した」旨の話を聞いたとの点てについては、仮にこのような事実があつたとしても、右話は事故原因を捜査している警察官の一認識にとどまるし、そもそも、甲第一四号証の一の記載内容や被告渡瀬において当初被告車が中央線を越えたように供述していた形跡もないこと、右警察官が右のような認識を持つ根拠となる証拠資料の存在を見出し難いこと等をからすれば、右警察官が右のような断定的な見解を延べたとは認め難い。

(3) 三木車が衝突後最終的に停止した位置は中央線上であるとの点については、仮に、そうであつたとしても、そのことから直ちに原告ら主張のような事故態様が導かれるとはいえない。なお、右1の認定よつても、本件事故直後停止した三木車と歩道縁石との間には、三メートル近い距離があることが明らかであり、この間を四トン車が通過することは可能であるから、右四トン車通過の事実をもつて原告ら主張の三木車の停止位置の裏付けとすることもできない。

(4) 右1(五)のタイヤの横ずれ痕が存在しなかつた、あるいは存在したとしても被告車や三木車のもとのは特定できないとの点については、右存在は、甲第一四号証の一から明白であり、鑑定の結果及び証人大滋彌雅弘の証言によってこれらを被告車及び三木車のもと特定することに問題はない。

(5) 三木車のボンネツトのへこみは被告車と三木車の二回目の衝突により生じたものであるとする点については、甲第一三号証の一及び二から認められる三木車の損傷状況、右1認定の車両の衝突角度等からして、右のように考えるべき根拠を見出すことができない。

(二) 他方、被告らは、被告渡瀬が初めて三木車を発見したのは、別紙図面一のイ地点(その時の三木車の位置は、同図面のA地点)であり、その時には、三木車には異常な運転がみられなかつた旨主張し、甲第一四号証の二及び乙第四号証には、これに副う記載があるが、検証の結果、証人花房文雄及び同石橋眞幸の各証言に照らし、採用できない。

3  右1及び2の認定判断によれば、本件事故は、「智において、三木車が本件現場へ差し掛かる直前、本件駐車余地内に大型車が駐車していたことにより左側にカーブする国道の状況が把握できなつたため、南行及び北行車線とも車両の通行が少なかつたとろこへ、北行車線は登板車線が設けられていたことにより幅員が広くなつていたことに気を許し、少なくとも中央線を跨いで時速約六〇キロメートルで三木車を走行させた上、前方注視が不十分であつたことにより被告車の走行状況の把握が遅れた」という過失と、「被告渡瀬において、被告車を北行車線の中央線寄りを時速約五〇キロメートルで走行させていたところ、前方注視が不十分であつたことにより、前記のような走行をしている三木車の発見が遅れた上、運転経験が乏しかつたことにより衝突回避のためにとるべき措置を誤り、被告車のハンドルを右に切つた」という過失とが競合して発生したものと推認できる。そして、智がシートベルトを着用していなかつたことが、より重篤な両側血気胸を招来し、少なくとも智の死期を早めたものと推認できる。

そうすると、本件事故の最大の原因は、智が三木車を少なくとも中央線を跨ぐという態様で中央線を越えて走行させていたことにあるが、他方で、被告渡瀬においても前方をきちんと見て、かつ、左にハンドルを切つておれば(この点は、同被告の運転未熟・自動車運転の経験の乏しさによるところが大きく、無免許運転であつたことが大きく寄与しているものと認められる。)、本件事故を十分避けることができたものと認められる、なお智の前方不注視の程度、三木車の最高速度制限超過の程度等右1の認定事実を併せて考えれば、本件事故についての過失の割合は、被告渡瀬が三〇パーセント、智が七〇パーセントと認めるのが相当である。

二  責任原因

1  被告西矢について

右一の認定判断に、乙第二及び第三号証を総合すれば、被告西矢は、本件事故当時自動車の運転免許を有していた者であるが、被告渡瀬かぎ、一六歳の高等学校二年生で、右運転免許を有していないことを知りながら、岡山県津山市内において、同被告から被告車の運転をさせてくれるよう頼まれて、安易にこれを承諾し、本件現場まで同被告に無免許運転を許した上、自ら助手席に同乗していながら、漫然と過ごして、運転未熟の同被告に対する注意を怠つた結果、右一に認定した同被告の過失ある運転及びこれを一因とする本件事故の発生に加功したもと認められる。従つて、被告西矢は、民法七〇九条に基づき、被告渡瀬と連帯して本件事故により生じた損害の賠償責任を負うものというべきである。

2  被告田島について

甲第一一号証、乙第九及び第一〇号証、被告西矢本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告西矢は、昭和六二年ころ、父孝之から軽貨物自動車(スズキアルト。岡山四〇り三八八二)を買い与えられ、通勤に使用していた(登録名義は孝之であつた。)ところ、平成二年初めころ、高等学校を卒業して日本原荘に勤務することになつていた妹の被告田島が自動車運転免許を取得したため、被告西矢は、被告田島に右スズキアルトを譲り、代わりに被告車を購入することになつたこと、被告西矢と孝之は、孝之において被告車を購入する手続きをすること、その購入代金一八一万七〇〇〇円については、孝之が立て替えて支払い、同被告が月五万円ずつ孝之に返済していくことを合意し、孝之は、同年三月ころ、訴外会社から被告車を購入する手続きをとつたこと、(この際、同年五月までの分割払いの方法がとられたため、所有者の登録名義は、訴外株式会社美作ホンダ販売とされた。)、ところが、孝之又は訴外会社の過誤により、被告車の使用者の登録名義が被告田島(当時の姓は西矢)とされてしまつたこと、右購入後、被告車は被告西矢が、右スズキアルトは被告田島がそれぞれ自らの専用として使用していたもので、被告田島は、被告車には何ら関係していないことが認められ、この認定に反する証拠はない。

そうすると、被告田島は、被告車の運行供用者に当たらないから、原告らの同被告に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

三  智の損害

1  治療費(主張額六一万二八九〇円) 六一万二八九〇円

第二の一3の事実に、甲第六八号証を総合すれば、さとう記念病院における本件事故による智の傷害の治療費として、六一万二八九〇円を要したことが認められる

2  文書料(主張額二二〇〇円) 二二〇〇円

第二の一3の事実に、甲第六八号証を総合すれば、さとう記念病院医師作成の智の診断書料として、二二〇〇円を要したことが認められる。

3  入院雑費(主張額四〇〇〇円) 四八〇〇円

第二の一3の事実によれば、智が合計四日間入院し、その間一日当り雑費として一二〇〇円を支出したことは、容易に推認できる。

4  付添看護費(主張額二万円) 〇円

第二の一3の事実に、証人三木保の証言(第一回)及び原告裕文本人尋問の結果を総合すれば、智は、入院中、肺から出血がなかなか止まらない重篤な状態が続いていたため、医師から面会謝絶・絶対安静の指示がなされ、医師、看護婦らによる厳重な医学的管理の下に置かれていたことが認められる。そして、本人全証拠によつても、病院職員以外の者が智の付添看護に当たつた事実を認めることができない。従つて、付添看護費の損害の発生は認めるに足りない(もとより、乙第一号証及び原告裕文本人尋問の結果によれば、原告アヤノや原告裕文が智の安否を憂慮して病院に詰めていたことは認められるが、この点は、慰籍料の算定に当たつて斟酌すべきものである。)

5  休業損害(主張額一六万五三六〇円) 三万七一三七円

(一) 甲第一八号証の一及び二、第五一号証、乙第一、第七及び第八号証、証人三木保の証言(第一ないし第三回)並びに弁論の全趣旨によれば、智は、昭和二三年ころから家畜商を営み、主に岡山県内、鳥取県内等から活牛(牛の仔)を購入して香川県内や徳島県内の市場等でこれを販売する取引を継続しており、また、一五年間、香川県家畜商組合連合会副会長及び綾歌郡家畜商組合組合長の地位にあつたことが認められる。

(二) ところで、甲第五三号証、証人三木保の証言(第二、三回)及び弁論の全趣旨によれば、智は、従前から平成元年分を含む各年分の所得の申告をしていなかつたことが認められる。それにもかかわらず、原告らは、本訴において極めて高額の所得の存在を主張して、これを前提とする権利の実現を国家機関を通じて図つているわけであるから、申告納税制度の趣旨をも併せ考えれば、自己に有利な局面において不申告の所得の存在を主張することを許すとしても、その場合には、客観的な資料に基づき、その所得の存在を合理的に納得させ得るだけの高度の証明が要求されるものと解するのが相当である。

(三) これを本件について検討するに、休業損害及び後記6(一)の逸失利益算定の基礎とすべき智の年収額につき、原告らは、<1>別表一のとおり、平成元年における牛の売値の合計額から買値の合計額を控除した一二〇八万〇一二八円と、<2>別表二のとおり、本件事故による智の死亡のため、智が既に買い付けをしていた牛を三木保がやむなく赤字で売つたことによる損失三〇〇万九〇〇円との合計額一五〇八万九一二八円(仮にこれを採用しないとしても、その八〇パーセントに相当する一二〇七万一三〇二円)を採用すべきものと主張する。

しかしながら

(1) まず、活牛の売買については、経済情勢、智の個人的な取引の方針、決断等さまざまな事情により、年々相当の取引額の変動が当然予測される(現に、智が作成していた帳簿である乙第七及び第八号証から、昭和六二年及び昭和六三年の各売値の合計額、買値の合計額及びその差額を算出すると、右両年の間はもとより、平成元年との間には相当大きな金額の違いが出ている。)から、<1>のように平成元年の一年のみの収入・支出を基礎として前記年収額の認定をするのは相当でなく、少なくとも本件事故前三年間程度の期間の平均値を採用するのが相当である。

(2) 次に、<1>は、智の営業に牛の購入代金以外の経費が全くかからないことを前提とする計算であり、原告らは、滝宮市場の牛舎が水道を含めて無料で使用できること、餌は堆肥と交換する藁と草のみであるから、無料で調達できること等を主張して、右前提が正しい旨主張し、証人三木保(第二、三回)の供述中にもこれに副う部分があるところ、これらは、右滝宮市場の牛舎の無償使用が黙認されていた(本来は使用料が徴収される―乙第一号証。なお、智が牛を販売していた市場が滝宮市場に限らないことは、証人三木保の証言《第二回》のとおりである。)ことを除いて客観的裏付けもなく、それ自体不自然であるし、同証人の証言によつても、組合費、市場に支払うべき手数料、牛の輸送費、取引に赴くための旅費(自家用車を使用したとしても、ガソリン代、自動車の減価償却等の費用がかかることは明らかである。)、他人に牛の管理を委託した場合に支払うべき委託費等の経費が存在することが明らかであり、更に、通信費、交際費その他の一般経費も当然存在する筈であつて、これらを全く無視する<1>の所得計算は、到底採用できない。

(3) 更に、<2>は、その主張から明らかなとおり、平成二年に購入し、かつ、売却した牛の収支に関するものであるから、平成元年の収支計算である<1>の金額と合算するのは筋違いというべきである。

従つて、智の年収額に関する原告ら前記主張は到底採用できず、また、智の家畜商営業についてその経費を適正に算定するに足りる証拠資料は何もない。

(四) そうすると、休業損害(後記6(一)の逸失利益についても同じ)算定の基礎とすべき智の年収額は、賃金センサス平成二年第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計六五歳以上男子労働者の平均年収額三三八万八八〇〇円を採用するのが相当であり、休業期間は入院期間と同じ四日間と認められるから、智の休業損害は、次の計算のとおり三万七一三七円(一円未満切捨て。以下一円未満の端数を生じる計算において同じ)と算定できる。

3,388,800×4/365=37,137

6  逸失利益(主張額四六四四万一〇一三円) 一三二二万二六一六円

(一) 家畜商営業により得べかりし利益の喪失(主張額四〇二八万三一四一円) 一一三〇万七八八三円

前判示事実に、乙第一号証を総合すれば、本件事故当時、智は、七三歳の健康な男性であり、妻である原告アヤノと同居して、家畜商営業により得た所得及び後記年金所得により同原告を扶養していたことが認められる。そして、平成二年簡易生命表によれば、同年における七三歳男子の平均余命は一〇・六四年であるから、智は、本件事故に遭わなければ、なお六年間は毎年右5(四)の年収額三三八万八八〇〇円を得ることができたものと推認でき、また、その生活費割合は三五パーセントと認めるのが相当である。

そこで、新ホフマン方式により年五分の割合により中間利息を控除して智の本件事故当時における家畜商営業に係る逸失利益の現在価額を算出すると、次の計算式のとおり一一三〇万七八八三円となる。

3,388,800×(1-0.35)×5.1336=11,307,883

(二) 香川県家畜商組合連合会副会長として得べかりし報酬請求権の喪失(主張額九八万四〇〇〇円) 〇円

原告らは、「本件事故当時、智は香川県家畜商組合連合会副会長として年額一〇万円の報酬を得ており、本件事故がなければ近く会長に就任して少なくとも同額の報酬を終身得ることができた。」旨主張し、証人三木保の証言(第二回)によれば、智が本件事故に遭わなければ近く香川県家畜商組合連合会会長に選出される可能性があつたことは窺われるが、その余の事実については、これを認めるに足りる証拠がない。

(三) 得べかりし配当請求権の喪失(主張額七八万七二〇〇円) 〇円

原告らは、「智は、活牛売買をする滝宮市場の利用権者として年額利用配当金として八万円を終身取得できた。」旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

(四) 得べかりし国民年金の喪失(主張額四三八万六六七二円) 一九一万四七三三円

甲第五二号証によれば、智は、本件事故当時、国民年金老齢年金として年額四四万五八〇〇円の支給を受けていたことが認められるところ、本件事故がなかつた場合における智の余命は、右(一)に認定したとおり一一年であるから、智は、本件事故に遭わなければ一一年間は右年金の支給を受け得たものと認めるのが相当である。そして、この場合の生活費割合は、五〇パーセントと認めるのが相当であるから、これを控除した上、新ホフマン方式により年五分の割合により中間利息を控除して本件事故時における智の得べかりし右年金の現在価額を求めると、次の計算式のとおり一九一万四七三三円となる。

445,800×(1-0.5)×8.5901=1,914,733

7  慰藉料 一一〇〇万円

本件事故の態様、智の受けた傷害の部位及び程度、受傷後死亡までの時間、智の年齢、家族の状況、原告ら固有の慰藉料額その他の本件の審理に顕れた一切の事情を考慮すると、智の慰藉料の額は、一一〇〇万円を認めるのが相当である。

以上の合計額は、二四八七万九六四三円となるところ、これにつき、右一3に判示した割合により過失相殺を行うと、右過失相殺後の損害額は七四六万三八九二円となるから、これを相続分に応じて原告らに按分すると、原告アヤノの分が三七三万一九四六円、原告裕文らの分がそれぞれ一八六万五九七三円となる。

四  原告らの固有の損害

(原告アヤノ)

1 葬祭費(主張額二二〇万円) 一二〇万円

甲第七一号証、原告裕文本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告アヤノは、智の葬儀を執り行い、その費用として約一〇〇万円を支払い、また、平成四年六月ころ、智の墓を建立し、その代金として一二〇万円を支払つたことが認められるところ、これらのうち本件事故と相当因果関係のある葬祭費は合計一二〇万円と認めるのが相当である。

(原告ら)

2 慰藉料(主張額―原告アヤノについて八〇〇万円、原告裕文らそれぞれについて三五〇万円)

原告アヤノについて五〇〇万円

原告裕文らについて各二五〇万円

本件事故の態様、智の受けた傷害の部位及び程度、受傷後死亡までの時間、智の年齢、家族の状況、智に認めるべき慰藉料額その他の本件の審理に顕れた一切の事情を考慮すると、智の死亡による原告ら固有の慰藉料の額は、原告アヤノについて五〇〇万円、原告裕文らについて各二五〇万円を認めるのが相当である。

以上の合計額は、原告アヤノが六二〇万円、原告裕文らがそれぞれ二五〇万円となるところ、これらにつき、右一3に判示した割合により過失相殺を行うと、右過失相殺後の損害額は、原告アヤノが一八六万円、原告裕文らがそれぞれ七五万円となる。

五  結論

右三及び四に認定した過失相殺後の損害額の合計は、原告アヤノが五五九万一九四六円、原告裕文らがそれぞれ二六一万五九七三円となるところ、本件事故による損害の填補額二〇五七万四二九〇円を相続分に従つて原告らに按分すると、原告アヤノが一〇二八万七一四五円、原告裕文らがそれぞれ五一四万三五七二円となり、右各填補額は、右過失相殺後の損害額を越えることとなる。

してみれば、本件事故による損害は、既に全額填補されていることが明らかであり、従つてまた、弁護士費用の賠償(主張額は、原告アヤノが二八五万三五五八円、原告裕文らがそれぞれ一二六万六七七九円)を認める余地はない。

よつて、原告らの本訴請求はいずれも理由がなく、これを棄却すべきものである。

(裁判官 鍬田則仁)

別紙図面一

別紙図面二 略

別表一・二 略

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